古代中国の思想家、孔子の『論語』の中から、故事成語や名言として広まっている部分を、白文・書き下し文・現代語訳・英語訳の順でご紹介します。
英語訳は、内容を端的に表していて分かりやすい部分もあるので、参考までに併記しています。中国語と英語は語順以外にも似ているところが多く、並べて読んでみると面白い発見があるかもしれません。
論語とは?
『論語』は、中国・春秋時代の思想家・孔子(紀元前552~479)とその弟子たちの言行を記録した書物です。
孔子は儒教の創始者。『論語』は儒教の経典である経書の一つで、朱子学における「四書」の一つに数えられます。
儒家の通説では、孔子の死後、弟子たちがそれまでに書き留めていた師匠の語を10巻20篇にまとめたもので、その内容の簡潔さから儒教入門書として広く普及しました。
1巻は2篇に分かれ、各篇は平均25章の短文からなります。各篇は最初の文章の、冒頭の2字をとった学而(がくじ)、為政などの篇名がつけられています。
「人はどう生きるべきか」や道徳観について説き、中国や日本、朝鮮半島、ベトナムなどで後世に大きな影響を与えました。
『論語』の文章は、孔子が折に触れて語ったことばがそのまま記録されていて、生き生きとした素朴な語り口の中に人間的叡智(えいち)が込められています。
日本へは応神天皇の代に伝来し、奈良時代に編纂された『古事記』や『日本書紀』の両方に、既に『論語』の記述があります。その時々に自分たちにとって価値のあるものだけを選んで取り入れてきました。
明治時代に資本主義の制度設計に携わり、「近代日本経済の父」と言われる渋沢栄一も、『論語』を取り入れて『論語と算盤』を書きました。
論語の名言44選
The Analects Quotes by Confucius
学びて時に之を習う
子曰、学而時習之、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦楽乎。人不知而不慍、不亦君子乎。
―― 『論語』 学而第一 1
子曰く、学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや。朋有り、遠方より来たる、亦た楽しからずや。人知らずして慍おらず、亦た君子ならずや。
先生がおっしゃった。「聖賢の道を学んでこれを実践の中で何度も復習すれば、その本当の意味が分かる、なんとうれしいことではないか。遠方から訪ねてくる友人がいる、なんと楽しいことではないか。人が自分を理解してくれなくとも不平不満を抱かない、なんとすぐれた人物ではないか」
The Master said, To learn and to practice what is learned time and again is pleasure, is it not? To have friends come from afar is happiness, is it not? To be unperturbed when not appreciated by others is gentlemanly, is it not?
朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり
子曰、朝聞道、夕死可矣。
―― 『論語』 里仁第四 8
子曰く、朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。
先生がおっしゃった。「朝に真実の道を聞くことができれば、その日の夕方に死んでも思い残すことはない」
The Master sad, In the morning, hear the Way; in the evening, die in content.
荻生徂徠の『論語徴』には、「夕べに死すとも可なり」というのは、孔子が自ら人としての道を求める心が、これほどまでに甚だしいことを言う、とあります。
一を以て之を貫く
一つの道理(仁=思いやり・誠実さ)をもって万事を貫くこと。
子曰、參乎、吾道一以貫之。曾子曰、唯。子出。門人問曰、何謂也。曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣。
―― 『論語』 里仁第四 15
子曰く、参や、吾が道は一以て之を貫く。曾子曰く、唯。子出づ。門人問うて曰く、何の謂いぞや。曾子曰く、夫子の道は、忠恕のみ。
先生がおっしゃった。「参よ、私の道はただ一つの原理で貫かれているのだ」 曾先生が答えられた。「さようでございます」 先師は部屋を出て行かれた。すると、他の門人たちが曾先生にたずねた。「今のはなんのことでしょう」 曾先生は答えて言われた。「先生の道は忠恕すなわち誠実と思いやりの一語につきるのです」
The Master said, “Ts’an, the way I follow has one unifying principle.” Tseng Tzu said, “Yes.” After Confucius departed, his disciples asked, “What did he mean?” Zeng Tzu said, “The way of the Master is simply loyalty and forgiveness.”
過ちて改めざる、是を過ちと謂う
子曰、過而不改、是謂過矣。
―― 『論語』 衛霊公第十五 29
子曰く、過ちて改めざる、是を過ちと謂う。
先生がおっしゃった。「誰でも過ちを犯すが、それに気づきながらも改めようとしないことこそ、本当の過ちである」
The Master said, If you make a mistake and do not correct it, this is called a mistake.
吾十有五にして学に志す
子曰、吾十有五而志于学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲不踰矩。
―― 『論語』 為政 4
子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従いて、矩を踰えず。
先生がおっしゃった。「私は十五の年に学問の世界に入っていく志を立てた。三十の年に基礎ができあがり自らの立場を確立した。四十の年に世事に迷うことがなくなった。五十の年に天から与えられた使命を理解した。六十の年に何ごとも素直に聞くことができるようになった。七十の年に自分の心の欲するものに従って人の守るべき道を踏み外さなくなった」
The Master said, At fifteen I set my heart upon learning. At thirty, I had planted my feet firm upon the ground. At forty, I no longer suffered from perplexities. At fifty, I knew what were the biddings of Heaven. At sixty, I heard them with docile ear. At seventy, I could follow the dictates of my own heart; for what I desired no longer overstepped the boundaries of right.
廏焚けたり
廐焚、子退朝、曰。傷人乎。不問馬。
―― 『論語』 郷党第十 12
廐焚けたり。子、朝より退く。曰く、人を傷えるかと。馬を問わず。
(先生の家が火事になり)馬小屋が焼けた。先生が朝廷から退出しておっしゃった。「けがをした者はいないか」馬については尋ねなかった。
There was a fire in the stables. When the Master returned from court, he asked: “Was anybody hurt?” He didn’t ask about the horses.
疏食を飯らい
子曰、飯疏食、飲水、曲肱而枕之。楽亦在其中矣。不義而富且貴、於我如浮雲。
―― 『論語』 述而第七 15
子曰く、疏食を飯い水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽しみ亦た其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲のごとし。
先生がおっしゃった。「粗末な食物を食べ、水を飲み、ひじを曲げてこれを枕とする。楽しみはそのような生活の中にもまたあるものだ。人の守るべき道に外れることをして富み、その上高い地位を得ることは、私にとって空に浮かぶ雲のような(すぐに消えてなくなるはかない)ものだ」
The Master said, Coarse rice to eat, water to drink, my bended arm for a pillow – therein is happiness. Wealth and rank attained through immoral means are nothing but drifting clouds.
学びて思わざれば、則ち罔し
知識を身につけることと、自分で考えることの両方が大切だということ。
子曰、学而不思、則罔。思而不学、則殆。
―― 『論語』 為政第二 15
子曰く、学びて思わざれば則ち罔し。思いて学ばざれば則ち殆うし。
先生がおっしゃった。「書を読み学ぶばかりで思索しなければ、物事の道理がよくわからない。思索するばかりで学ばなければ、その時には独断に陥って危険である」
The Master said, He who learns but does not think, is lost. He who thinks but does not learn is in great danger.
三人行へば、必ず我が師有り
子曰、三人行、必有我師焉。択其善者而従之、其不善者而改之。
―― 『論語』 述而第七 21
子曰く、三人行なわば、必ず我が師有り。其の善き者を択びて之に従い、其の善からざる者は之を改む。
先生がおっしゃった。「三人で行動すれば、必ず(その中に)自分の手本となる者がいるものだ。そのよい者を選んでこれ(その人)に従い、そのよくない者を見てこれ(我が身)を改める」
The Master said, Walking among three people, I find my teacher among them. I choose that which is good in them and follow it, and that which is bad and chang
己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ
己所不欲、勿施於人。
―― 『論語』 顔淵第十二 2
己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ。
自分が望まないことを人に対して行ってはいけない。
What you do not want done to yourself, do not do to others.
食を足らしめ、兵を足らしめ、民之を信にす
子貢問政。子曰、「足食、足兵、民信之矣。」子貢曰、「必不得已而去、於斯三者何先。」曰、「去兵。」子貢曰、「必不得已而去、於斯二者何先。」曰、「去食。自古皆有死。民無信不立。」
―― 『論語』 顔淵第十二 7
子貢、政を問う。子曰く、食を足らし、兵を足らし、民之を信ず。子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯の三者に於いて何をか先にせん。曰く、兵を去らん。子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於いて何をか先にせん。曰く、食を去らん。古より皆死有り、民、信無くんば立たず。
子貢が政治について尋ねた。先生がおっしゃった。「食糧を十分にさせ、兵力を十分にさせて、人民に信義の心を持つようにさせることだ。」と。子貢が言うことには、「もしどうしてもやむを得ず一つを捨て去るならば、この三者のうちで何を先にしますか。」と。先生はおっしゃった。「兵力を捨て去ろう。」子貢が言う。「もしどうしてもやむを得ず一つを捨て去るならば、この両者のうちでどちらを先にしますか。」先生はおっしゃった。「食糧を捨て去ろう。昔から誰にもみんな死というものがある。人民は信義の心がなければ、人として存在できないのだ」
Zi Gong asked about government. The Master said, “Enough food, enough weapons and the confidence of the people.” Zi Gong said, “Suppose you had no alternative but to give up one of these three, which one would be let go of first?” The Master said, “Weapons.” Zi Gong said “What if you had to give up one of the remaining two which one would it be?” The Master said, “Food. From ancient times, death has come to all men, but a people without confidence in its rulers will not stand.”
温故知新
昔のことを研究して、そこから新しい知識や道理を見つけ出すこと。
子曰、溫故而知新、可以爲師矣。
―― 『論語』 為政第二 11
子曰く、故きを温ねて新しきを知れば、以て師為る可し。
先生がおっしゃった。「古いものを愛護しつつ新しい知識を求める人であれば、人を導く資格がある」
The Master said, Try to discover new things by taking lessons from the past, you can become an excellent leader.
之を知るを之を知ると為し
子曰、由、誨女知之乎。知之為知之、不知為不知。是知也。
―― 『論語』 為政第二 17
子曰く、由、女に之を知るを誨えんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり。
先生がおっしゃった。「由よ、お前に知るということを教えようか。知っていることを知っているとし、知っていないことを知っていないとする。これが知るということだ」
The Master said, You, shall I teach you what knowledge is? When you know something, to know that you know it. When you do not know, to know that you don’t know it. This is knowledge.
暴虎馮河、死して悔ゆる無き者は、吾与にせざるなり
子謂顔淵曰、「用之則行、舎之則蔵。唯我与爾有是夫。」子路曰、「子行三軍、則誰与。」子曰、「暴虎馮河、死而無悔者、吾不与也。必也臨事而懼、好謀而成者也。」
―― 『論語』 述而第七 10
子、顔淵に謂いて曰く、之を用うれば則ち行い、之を舎つれば則ち蔵る。唯だ我と爾とのみ是れ有るかな。子路曰く、子、三軍を行らば、則ち誰と与にせん。子曰く、暴虎馮河し、死して悔い無き者は、吾与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ、謀を好みて成さん者なり。
先生が顔淵に向かっておっしゃった。「登用されたならばその時には世に出て行動し、見捨てられ用いられないならばその時には出仕しないで身をひそめる。ただ私とお前とだけがそれを理解しているなあ。」子路が言う。「もし先生が大国の軍隊を指揮するならば、誰と共に行いますか。」先生がおっしゃった。「虎に素手で立ち向かったり大河を歩いて渡るような無謀な行為をして、死んでも後悔せぬ者は、私は共には行動しない。(私が共に行動するのは)必ずや事に臨んで慎重に振る舞い、計画を立てることを好んで事を成す者である」
Confucius said to Yan Yuan: “When needed, acting. When not needed, concealing. Only you and I can do this.” Zi Lu said, “If you had to handle a major army, who would you choose to assist you?” Confucius said, “I would not select the kind of man who likes to wrestle with tigers or cross rivers on foot, who can die without a second thought [like Zi Lu] . It must be someone who approaches his business with caution, who likes to plan things well and see them to their completion.”
巧言令色
口先だけでうまいことを言ったり、うわべだけ愛想よくとりつくろったりすること。人に媚こびへつらうさま。
子曰、巧言令色、鮮矣仁。
―― 『論語』 学而第一 3
子曰く、巧言令色、鮮し仁。
先生がおっしゃった。「口先が巧みな人や媚びるような顔つきをする人には、仁の徳はほとんど備わっていないものだ」
The Master said, ‘Clever talk and a pretentious manner’ are seldom found in the Good.
吾日に三たび吾が身を省みる
曾子曰、吾日三省吾身。爲人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎。
―― 『論語』 学而第一 4
曾子曰く、吾日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。習わざるを伝うるか。
曾先生がいわれた。「私は、毎日、つぎの三つのことについて反省することにしている。その第一は、人のために謀ってやるのに全力をつくさなかったのではないか、ということであり、その第二は、友人との交りにおいて信義にそむくことはなかったか、ということであり、そしてその第三は、自分でまだ実践できるほど身についていないことを人に伝えているのではないか、ということである」
The Master Tseng said, Every day I examine myself on these three points: in acting on behalf of others, have I always been loyal to their interests? In intercourse with my friends, have I always been true to my word? Have I failed to repeat the precepts that have been handed down to me?
孔子の弟子である曾氏の言葉です。
君子は食に飽くことを求むる無く
子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事而愼於言、就有道而正焉。可謂好學也已。
―― 『論語』 学而第一 14
子曰く、君子は食に飽くことを求むる無く、居に安きを求むる無く、事に敏にして言に慎み、有道に就いて正す。学を好むと謂うべきのみ。
先生がおっしゃった。「君子は飽食を求めない。安居を求めない。仕事は敏活にやるが、言葉はひかえ目にする。そして有徳の人について自分の言行の是非をたずね、過ちを改めることにいつも努力している。こうしたことに精進する人をこそ、真に学問を好む人というべきだ」
The Master said, A gentleman who never goes on eating till he is sated, who does not demand comfort in his home, who is diligent in business and cautious in his speech, who associate with those that possess the Way and thereby corrects his own faults — such a one may indeed be said to have a taste of learnng.
人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり
子曰、不患人之不己知、患不知人也。
―― 『論語』 学而第一 16
子曰く、人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり。
先生がおっしゃった。「人が自分の能力を知ってくれないということは少しも心配なことではない。自分が人の能力を知らないということが心配なのだ」
The Master said, (the Good man) does not grieve that other people do not recognize his merits. His only anxiety is lest he should fail to recognize theirs.
義を見て為さざるは、勇無きなり
正義は人の行なうべきものであるが、これを知りながら実行しないのは勇気がないからだ。正しいことをするよう、促すときに使われることば。
子曰、非其鬼而祭之、諂也。見義不爲、無勇也。
―― 『論語』 為政第二 24
子曰く、其の鬼に非ずして之を祭るは、諂うなり。義を見て為さざるは、勇無きなり。
先生がおっしゃった。「自分の祭るべき霊でもないものを祭るのは、へつらいだ。行なうべき正義を眼前にしながら、それを行なわないのは勇気がないのだ」
The Master said, Just as to sacrifice to ancestors other than one’s own is presumption, so to see what is right and not do it is cowardice.
里は仁なるを美しと為す
子曰、里仁爲美。擇不處仁、焉得知。
―― 『論語』 里仁第四 1
子曰く、里は仁なるを美しと為す。択んで仁に処らずんば、焉んぞ知なるを得ん。
先生がおっしゃった。「村落は仁徳のある人が多く住んでいるところがよい。親切気のないところに居所をえらぶのは、賢明だとはいえない」
The Master said, It is Goodness that gives to a neighborhood its beauty. One who is free to choose, yet does not prefer to dwell among the Good–how can he be accorded the name of wise?
位無きを患えず、立つ所以を患う
子曰、不患無位、患所以立。不患莫己知、求爲可知也。
―― 『論語』 里仁第四 14
子曰く、位無きを患えず、立つ所以を患う。己を知る莫きを患えず、知らる可きを為すを求むるなり。
先生がおっしゃった。「地位のないのを心配するより、自分にそれだけの資格があるかどうかを心配するがいい。また、自分が世間に認められないのを気にやむより、認められるだけの価値のある人間になるように努力するがいい」
The Master said, He does not mind not being in office; all he minds about is whether he has qualities that entitle him to office.
君子は義に喩り、小人は利に喩る
子曰、君子喩於義、小人喩於利。
―― 『論語』 里仁第四 16
子曰く、君子は義に喩り、小人は利に喩る。
先生がおっしゃった。「君子は万事を道義に照らして会得するが、小人は万事を利害から割出して会得する」
The Master said, A gentleman takes as much trouble to discover what is right as lesser men take to discover what will pay.
仁者は難きを先にして獲るを後にす
樊遲問知。子曰、務民之義、敬鬼神而遠之。可謂知矣。問仁。曰、仁者先難而後獲。可謂仁矣。
―― 『論語』 雍也第六 20
樊遅、知を問う。子曰く、民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく。知と謂う可し。仁を問う。曰く、仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂う可し。
樊遅が知について先師の教えを乞うた。先生は答えられた。「ひたすら現実社会の人倫の道に精進して、超自然界の霊は敬して遠ざける、それを知というのだ」 樊遅はさらに仁について教えを乞うた。先生が答えられた。「仁者は労苦を先にして利得を後にする。仁とはそういうものなのだ」
Fan Chi asked about the nature of wisdom. The Master said, “Working to give the people justice and paying respect to the spirits, but keeping away from them, you can call wisdom.” He asked about the nature of ren. The Master said, “Ah yes, ren. If you suffer first and then attain it, it can be called ren.”
知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ
子曰、知者樂水、仁者樂山。知者動、仁者靜。知者樂、仁者壽。
―― 『論語』 雍也第六 21
子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿し。
先生がおっしゃった。「知者は水に歓びを見出し、仁者は山に歓びを見出す。知者は活動的であり、仁者は静寂である。知者は変化を楽しみ、仁者は永遠のなかに安住する」
The Master said, The wise man delights in water, the Good man delights in mountains. For the wise move; but the Good stay still. The wise are happy; but the good secure.
孔子が知者と仁者を対比して述べたものの一つ。どちらがいいというのではなく、それぞれの人間性を描いたもの。
道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に游ぶ
子曰、志於道、據於德、依於仁、游於藝。
―― 『論語』 述而第七 6
子曰く、道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に游ぶ。
先生がおっしゃった。「人の道を学ぶことに心を向け、学んだところを体得しわが徳として堅くこれを守り、諸徳の綜合たる仁に至ってこれに安んじ、時に文藝をたしなんで気を養い心をゆたかにしたい」
The Master said, Set your heart upon the Way; support yourself by virtue; lean upon Goodness; seek distraction in the arts.
人の生き方に対するアドバイス。徳によって自分を支え、芸術に気晴らしを求めるようにと言っています。
憤せざれば啓せず
子曰、不憤不啓。不悱不發。擧一隅、不以三隅反、則不復也。
―― 『論語』 述而第七 8
子曰く、憤せざれば啓せず。悱せざれば発せず。一隅を挙げて、三隅を以て反さざれば、則ち復びせざるなり。
先生がおっしゃった。「私は、教えを乞う者が、まず自分で道理を考え、その理解に苦しんで歯がみをするほどにならなければ、解決の糸口をつけてやらない。また、説明に苦しんで口をゆがめるほどにならなければ、表現の手引を与えてやらない。むろん私は、道理の一隅ぐらいは示してやることもある。しかし、その一隅から、あとの三隅を自分で研究するようでなくては、二度とくりかえして教えようとは思わない」
The Master said, If a student is not eager, I won’t teach him; if he is not struggling with the truth, I won’t reveal it to him. If I lift up one corner and he can’t come back with the other three, I won’t do it again.
上に居て寛ならず
子曰、居上不寛、爲禮不敬、臨喪不哀、吾何以觀之哉。
―― 『論語』 八佾第三 26
子曰く、上に居て寛ならず、礼を為して敬せず、喪に臨んで哀しまずんば、吾何を以てか之を観んや。
先生がおっしゃった。「人の上に立って寛容でなく、礼を行なうのに敬意をかき、葬儀に参列しても悲しい気持になれない人間は、始末におえない人間だ」
The Master said, High office filled by men of narrow views, ritual performed without reverence, the forms of mourning observed without grief – these are things I cannot bear to see.
己達せんと欲して人を達せしむ
自分が事をなし遂げようと思えば、まず人を助けて目的を遂げさせてやる。仁ある者は、事を行なうにあたり自他のわけへだてをしないこと。
子貢曰、如有博施於民、而能濟衆、何如。可謂仁乎。子曰、何事於仁。必也聖乎。堯舜其猶病諸。夫仁者、己欲立而立人、己欲達而達人。能近取譬。可謂仁之方也已。
―― 『論語』 雍也第六 28
子貢曰く、如し博く民に施して、能く衆を済うもの有らば、何如。仁と謂うべきか。子曰く、何ぞ仁を事とせん。必ずや聖か。堯舜も其れ猶お諸を病めり。夫れ仁者は、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。能く近く譬えを取る。仁の方と謂うべきのみ。
子貢が先師にたずねていった。「もしひろく恵みをほどこして民衆を救うことができましたら、いかがでしょう。そういう人なら仁者といえましょうか」 先師がこたえられた。「それができたら仁者どころではない。それこそ聖人の名に値するであろう。堯や舜のような聖天子でさえ、それには心労をされたのだ。いったい仁というのは、何もそう大げさな事業をやることではない。自分の身を立てたいと思えば人の身も立ててやる、自分が伸びたいと思えば人も伸ばしてやる、つまり、自分の心を推して他人のことを考えてやる、ただそれだけのことだ。それだけのことを日常生活の実践にうつしていくのが仁の具体化なのだ」
Zi Gong asked, “Suppose there were a ruler who benefited the people far and wide and was capable of bringing salvation to the multitude, what would you think of him? Might he be called humane?” The Master said, “Why only humane? He would undoubtedly be a sage. Even Yao and Shun would have had to strive to achieve this. Now the ren man, wishing himself to be established, sees that others are established, and, wishing himself to be successful, sees that others are successful. To be able to take one’s own feelings as a guide may be called the art of ren.”
徳は孤ならず、必ず鄰有り
徳不孤、必有鄰。
―― 『論語』 里仁第四 25
子曰く、徳は孤ならず、必ず隣有り。
徳をそなえた人は決して孤独ではない。必ず理解者や友人が現れる。
Moral force never dwells in solitude, it will always bring neighbors.
君子は坦として蕩蕩たり
子曰、君子坦蕩蕩。小人長戚戚。
―― 『論語』 述而第七 36
子曰く、君子は坦として蕩蕩たり。小人は長しなえに戚戚たり。
先生がおっしゃった。「君子は気持がいつも平和でのびのびとしている。小人はいつもびくびくして何かにおびえている」
The Master said, The superior man is satisfied and composed; the mean man is always full of distress.
賢を見ては斉しからんことを思い
子曰、見賢思齊焉、見不賢而内自省也。
―― 『論語』 里仁第四 17
子曰く、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みるなり。
先生がおっしゃった。「賢くて徳のある人を見たら、自分もこの人のようでありたいと思い、賢からず徳のない人を見たら、自分もこの人のようではないかと反省するべきだ」
The Master said, When we see men of worth, we should think of equaling them; when we see men of a contrary character, we should turn inwards and examine ourselves.
君子は言に訥にして、行いに敏ならんことを欲す
子曰、君子欲訥於言、而敏於行。
―― 『論語』 里仁第四 24
子曰く、君子は言に訥にして、行いに敏ならんことを欲す。
先生がおっしゃった。「君子は、口は不調法でも行いには敏活でありたいと願うものだ」
The Master said, The superior man is modest in his speech, but exceeds in his actions.
直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報いん
以直報怨、以德報德。
―― 『論語』 憲問第十四 36
直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報いん。
怨みには正しさをもって報いるがいいし、徳には徳をもって報いるがいい。
Recompense hatred with justice, and recompense kindness with kindness.
人にして不仁ならば、礼を如何せん
人而不仁、如礼何。
―― 『論語』 八佾第三 3
人にして不仁ならば、礼を如何せん。
不仁な人が礼を行なったとてなんになろう。
If you don’t have benevolence as a person, it is meaningless even if you are very polite.
敏にして学を好み、下問を恥じず
敏而好學、不恥下問。
―― 『論語』 公冶長第五 14
敏にして学を好み、下問を恥じず。
(孔文子という人は)天性明敏なうえに学問を好み、目下のものに教えを乞うのを恥としなかった。
The intelligent man continues to learn and doesn’t hesitate to ask his subordinates about things he doesn’t know.
吾が党の小子、狂簡にして、斐然として章を成す
吾黨之小子狂簡、斐然成章。不知所以裁之。
―― 『論語』 公冶長第五 21
吾が党の小子、狂簡にして、斐然として章を成す。之を裁する所以を知らず。
帰って郷党の若い同志を教えるとしよう。かれらの志は遠大だが、まだ実践上の磨きが足りない。知識学問においては百花爛漫の妍を競っているが、まだ自己形成のための真の道を知らない。それはちょうど、見事な布は織ったが、寸法をはかってそれを裁断し、衣服に仕立てることができないようなものだ。これをすててはおけない。
Young people are like uncut diamonds, but they don’t know how to refine themselves to make themselves look like polished diamonds.
孔子が周遊して陳の国にいたときに言った言葉とされています。
力の足らざる者は、中道にして廃す
力不足者、中道而廃、今女画。
―― 『論語』 雍也第六 12
力の足らざる者は、中道にして廃す。今、女は画れり。
(冉求が「先生の道を喜ばないのではなく、私には力が足りないのです」と言ったのに対し、先生がおっしゃった。)「力が足りないかどうかは、根(こん)かぎり努力してみた上でなければ、分かるものではない。ほんとうに力が足りなければ中途でたおれるまでのことだ。おまえはたおれもしないうちから、自分の力に見切りをつけているようだが、それがいけない」
You give up at the middle of the way, because you think you don’t have enough strength. But you are just putting a limit to your own power.
行くに径に由らず
目的地へ行くのに裏道や小道を通らず、大通りを行くこと。正々堂々と物事を行うこと。
子游爲武城宰。子曰、女得人焉耳乎。曰、有澹臺滅明者。行不由徑。非公事、未嘗至於偃之室也。
―― 『論語』 雍也第六 12
子游、武城の宰と為る。子曰く、女、人を得たるか。曰く、澹台滅明なる者有り。行くに径に由らず。公事に非ざれば、未だ嘗て偃の室に至らざるなり。
子游は武城の代官をつとめていたが、ある時、先師が彼にたずねられた。「部下にいい人物を見つけたかね」子游がこたえた。「澹台滅明という人物がおります。この人間は、決して近道やぬけ道を歩きません。また公用でなければ、決して私の部屋にはいって来たことがございません」
Zi You became the governor of Wucheng. The Master said, “Have you been able to employ any good people?” Zi You answered: “I have found Dantai Mieming, who never takes short cuts in his work and does not come to my home unless he has real business to discuss.”
之を知る者は之を好む者に如かず
子曰、知之者不如好之者。好之者不如樂之者。
―― 『論語』 雍也第六 18
子曰く、之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。
先生がおっしゃった。「真理を知る者は真理を好む者に及ばない。真理を好む者は真理を楽しむ者に及ばない」
The Master said, To like is better than to know. To enjoy is better than to like.
三人行なわば、必ず我が師有り
子曰、三人行、必有我師焉。擇其善者而從之、其不善者而改之。
―― 『論語』 述而第七 21
子曰く、三人行なわば、必ず我が師有り。其の善き者を択びて之に従い、其の善からざる者は之を改む。
先生がおっしゃった。「三人道づれをすれば、めいめいに二人の先生をもつことになる。善い道づれは手本になってくれるし、悪い道づれは、反省改過の刺戟になってくれる」
The Master said, Walking along with three people, my teacher is sure to be among them. I choose what is good in them and follow it and what is no good and change it.
文行忠信
子以四教、文行忠信。
―― 『論語』 述而第七 24
子は四を以て教う。文・行・忠・信。
先生は四つのことを教えて下さった。読書と実行と誠実と信義だ。
Confucius taught us four teachings. Reading, practice, loyalty and trustworthiness.
君子は人の美を成し、人の悪を成さず
子曰、君子成人之美、不成人之惡。小人反是。
―― 『論語』 顔淵第十二 16
子曰く、君子は人の美を成し、人の悪を成さず。小人は是に反す。
先生がおっしゃった。「君子は他人の善事や成功を喜んでそれが成就することを願い、他人が失敗したり悪評を受けたりするのを心配して、援助したり弁解したりする。小人はその反対だ」
The Master said, The noble man develops people’s good points, not their bad points. The inferior man does the opposite.
君子は本を務む
君子務本。本立而道生。
―― 『論語』 学而第一 2
君子は本を務む。本立ちて道生ず。
古来、君子は何ごとにも根本を大切にし、まずそこに全精力を傾倒して来たものだが、それは、根本さえ把握すると、道はおのずからにしてひらけて行くものだからである。
A wise man nourishes the roots. With the roots established, the way grows.
過ちては則ち改むるに憚かること勿かれ
過ちを犯したと気づいたら、自分の面目や他人の目など気にせず、ためらうことなく改めるべきである。
子曰、君子不重則不威。學則不固。主忠信、無友不如己者。過則勿憚改。
―― 『論語』 学而第一 8
子曰く、君子重からざれば則ち威あらず。学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ。過ちては則ち改むるに憚かること勿かれ。
先生がおっしゃった。「道に志す人は、つねに言語動作を慎重にしなければならない。でないと、外見が軽っぽく見えるだけでなく、学ぶこともしっかり身につかない。むろん、忠実と信義とを第一義として一切の言動を貫くべきだ。安易に自分より知徳の劣った人と交っていい気になるのは禁物である。人間だから過失はあるだろうが、大事なのは、その過失を即座に勇敢に改めることだ」
The Master said, If the noble man lacks gravitas, then he will not inspire awe in others. If you study, you will not be stubborn. Take loyalty and good faith to be of primary importance, and have no friends who are not of equal (moral) caliber. When you make a mistake, don’t hesitate to correct it.
『論語』の名言をご紹介しました。今も故事成語や座右の銘として、目にすることも多いのではないでしょうか。