人生やり直したい20代に贈る 偉人たちの名言とエピソード

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失敗や挫折、転職、病気、離婚などで、自分の思い描いていたのとは違う人生になってきたとき、人は人生をやり直したいと考えます。

「時間を戻すことはできない」と、あきらめないでください。過去に戻ってやり直すことはできないけれども、これからの選択を、今までとは少し違った方法で行うことで、人生を変えることができます。

今回は人生のやり直しに成功した偉人たちの名言と、そのいきさつをご紹介します。一つのアイデアや友人の一言などをきっかけにして、苦境を脱し、幸せをつかむまでのストーリーです。

人生をやり直したいと思うほど何かがうまくいかなくなったのは、自分にとって本当に大切なことに気づいていなかったからかもしれません。

あせらずに新しい道を進んでいけば、いつか、「あの試練のおかげで、前よりずっと良い人生にできた」と思える日が来ます。落ち込んだ心では思いつかなかった方向へ、一歩踏み出すためのヒントをご覧ください。

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人生やり直したい20代に贈る 偉人たちの名言とエピソード

私にとっての最大の恐怖が現実となってしまったけれど、自由も手に入れたのです。私はまだ生きていて、愛する娘がいて、古いタイプライターと大きなアイデアがありました。そうしてどん底は人生をやり直すための確かな基盤となりました。

―― J・K・ローリング

I was set free, because my greatest fear had been realised, and I was still alive, and I still had a daughter whom I adored, and I had an old typewriter and a big idea. And so rock bottom became the solid foundation on which I rebuilt my life.
―― J. K. Rowling

J・K・ローリングは、『ハリー・ポッターシリーズ』で有名なイギリスの小説家です。子どもの頃から物語を書くのが好きで、最初の作品を書いたのは6歳のとき。中学時代にはすでに、想像力に富んだ作品で国語の教師たちに強い印象を与えていました。

大学は文学方面に進みたかったけれども、両親の希望通り母国語(英語)の教員になるべく、フランス語と古典英語を学びました。卒業後はロンドンのアムネスティ・インターナショナル(国際人権NGO)で秘書として働いていましたが、25歳の時に母アンが多発性硬化症で亡くなり、心に深刻な影響を受けました。

失意の中、彼女はポルトガルで英語教師の職を得て働き、27歳で結婚しましたが、28歳のときに生後4カ月の赤ちゃんを抱えて離婚。その後エディンバラに移り住み、シングルマザーとして貧困と戦いながら小説を書いていました。これは最初は自分のためと、娘に読ませるためだったといいます。

ある日カフェのテーブルで小説を書いていると、編集者をしている友人が来てその書きかけの小説を読み、「これは絶対に書き上げて出版すべき」と熱心に勧めたのです。

それからJ・K・ローリングは小説の執筆に没頭します。昼間は赤ちゃんが寝ている間に2時間ほど書き、夜、赤ちゃんが眠ってからまた書く。29歳の時には貧困と心労のため重いうつ病になりながらも、キッチンテーブルで『ハリー・ポッターと賢者の石』を書き上げました。

ただ、児童向けとしてはあまりに長編であり、12の出版社から出版を断られます。そして13社目のブルームズベリー出版社との契約についに成功します。

初版は500部。宣伝の予算もない状態でしたが、口コミによって売り上げを伸ばし、80カ国語で翻訳書も出版されたため、現在までにシリーズで5億部を突破。歴史上最も報酬を得た作家となりました。

この名言にあるように、どん底と思えるような状況の中でも、心を強く持って前を向いて努力を続ければ、何か解決の糸口はつかめるものですね。
 
 
J・K・ローリングの名言を他にもいくつかご紹介します。

失敗は不必要なものを剥ぎ取ってくれるのです。私は、自分を偽るのをやめ、持てる全エネルギーを、私にとって最も大事だった小説に注ぐようになりました。
―― J・K・ローリング/p>

Failure meant a stripping away of the inessential. I stopped pretending to myself that I was anything other than what I was, and began to direct all my energy into finishing the only work that mattered to me.
―― J. K. Rowling

幼い子どもを抱えて離婚し、たった一人で厳しい状況に直面したJ・K・ローリング。でもそれが、秘書や、両親の希望する教員ではなく、小説家になることを決意するきっかけになったのかもしれません。

今、必要だと思っていることを一つ、「本当に必要なのか」と考えてみると、自分にとってより良い道が見つかる可能性が出てきます。

ハリーが孤児なのは、親の干渉や束縛から解放された状態で、自分の力でどう成長していくかを描きたかったから。
―― J・K・ローリング

J・K・ローリングはインタビューに答えて、子どもたちは安全を確保することと、親をがっかりさせるのではという不安から解放される必要があると言っています。寄宿学校という、安全を確保されながらも開放的な環境を、物語の舞台に設定しています。

文学は、普通の生活にはない環境に身を置き、普通では体験できないことを疑似体験させてくれます。そこで登場人物たちに寄り添って考えることで、考えの視野が広がります。本を読み終えて現実の世界に戻ってきたときに、ひらめくことも違ってきますね。

「ハリー、自分が本当に何者かを示すのは、持っている能力ではなく、自分がどのような選択をするかということなんじゃよ」(『ハリー・ポッターと秘密の部屋』)

―― J・K・ローリング

It is our choices, Harry, that show what we truly are, far more than our abilities.
―― J. K. Rowling

 
 

次にアメリカの発明家・ロケット開発者、ロバート・ゴダードの名言をご紹介します。

これだけは覚えておきなさい。何もかも失ったと思える瞬間でさえ、あなたの未来は残っている。
―― ロバート・ゴダード

Just remember—when you think all is lost, the future remains.
―― Robert Hutchings Goddard

ロバート・ハッチングス・ゴダードは、人類初の液体燃料ロケットの打ち上げに成功した人物です。

マサチューセッツ州で打ち上げに成功した1926年当時、彼の研究は時代を先取りしすぎていて他の科学者やマスコミから理解されず、しばしば嘲笑の対象になりました。

1929年の実験の際には、予定の高度に達し成功したにもかかわらず、落下後の残骸を見て「空中で爆発した」とマスコミに書かれてしまいます。このため州内でのロケット発射実験を禁止され、研究は行き詰ってしまいました。

しかしこのニュースから、ロケットの研究に興味を持ったチャールズ・リンドバーグの推薦により新たな資金援助を得て、ニューメキシコ州ロズウェルに実験場を移してロケット研究を続けることができたのでした。

ゴダードが1945年までの生涯に考案・発明した特許は214にのぼります。生前にはあまり認められなかったものの、1960年に合衆国政府に100万ドルですべて買い取られ、宇宙開発に大きく貢献しました。
 
 
1920年時点では、ニューヨーク・タイムズ紙は、「物質が存在しない真空中ではロケットが飛行できないことを誰でも知っている」とし、ゴダードが「高校で習う知識を持っていないようだ」と酷評していました。

しかし1969年、アポロ11号の月着陸の前日、同紙は49年前の社説を撤回しました。「17世紀のアイザック・ニュートンの実験結果を確認し、大気中と同様に真空中でもロケットが飛行できることは明確にいま実証された。弊紙は過ちを後悔する」と発表。

アポロ11号が月に到達した時、SF作家のアイザック・アシモフは、「ゴダードよ、我々は月にいる」という言葉を送りました。
 
 
人々の無理解にもめげず、未来への希望を失わずに黙々と研究を続けたゴダードの言葉は、未来を信じる勇気を与えてくれます。
 
 
最後にアメリカの起業家イーロン・マスクの名言をご紹介します。

テスラやスペースXを率いるイーロン・マスクは、南アフリカの首都プレトリアで生まれましたが、いじめや父親からの虐待、兵役から逃れて、17歳の時に母親の親戚を頼ってカナダへ移住します。クイーンズ大学に2年通ったあと、努力次第で夢が叶うと思って憧れていたアメリカへ行くため、ペンシルベニア大学に編入します。

ペンシルベニア大学で経済学と物理学を学んだあと、1995年に高エネルギー物理学を学ぶためスタンフォード大学の大学院に進みますが、すぐに休学。新しく興ってきたインターネットの世界に可能性を感じ、方向を転換します。

1995年、投資・不動産開発などを手掛けるグレッグ・クーリ、弟キンバルと3人で、新聞向けの街案内ソフトウエアを開発する会社Zip2を創設。

このZip2は1999年にコンパック・コンピュータに3億7000万ドルで買収され、7%の株を保有していたイーロンは、28才の若さにして2200万ドル(約25億円)の資産を手にしたのです。
 
 
しかしここで早期リタイアとはいかず、次々に新しい事業を始めます。PayPal、宇宙開発企業スペースX、電気自動車企業テスラを創業。周囲から理解されるのを待つことなく、突き進んでいきます。

重要だと思えることならば、成功する確率が低くてもそれをやるべきだ。
―― イーロン・マスク

If something’s important enough, you should try. Even if the probable outcome is failure.
―― Elon Musk

しかし2009年、38歳の時に経済状況が悪化します。2008年のリーマンショックにより、ゼネラル・モーターズさえ経営破綻する中、テスラ社も、会社にもイーロン個人にもお金がなく、このままでは社員の給与が支払えない状態に陥ります。

もうこれ以上どこからも融資を受けられないとなったとき、イーロン・マスクはドイツのダイムラー社から電気自動車の調査団がアメリカに来るのに目をつけました。ダイムラーの小型車スマートを電動化する提案を見せてほしいと頼まれていたのです。

イーロンは急いで電動スマートの試作をします。ガソリンで走るスマートが売られているメキシコに社員をひとり派遣し、1台買ってカリフォルニアまで走って戻らせる。そして、その車にロードスターのモーターとバッテリーパックを組み込みました。

テスラ社に到着したダイムラーの幹部一行は、不機嫌でした。名前も聞いたことがない金欠の小企業で、あり合わせのパワーポイントのプレゼンテーションを見せられるのが関の山だと思っていたのかもしれません。

しかしイーロンは運転してみませんかと声をかけ、駐車場に用意した電動スマートの試乗を勧めます。

幹部たちが代わる代わる試乗すると、すさまじい加速で 0 – 100キロも4秒ほどしかかからない。これには全員、度肝を抜かれました。こうして、バッテリーパックとパワートレインの提供が決まり、5000万ドルの資本参加の合意も得られ、テスラ社は倒産を免れたのでした。

翌年、テスラが上場するとイーロン・マスクの資産は爆発的に増え、2012年にはフォーブスの億万長者リストに掲載されるに至りました。

現在は世界一の富豪となり、「言論の自由を確保するため」に、Twitterを買収してXと改名し、改革を行っています。

それは信じられないほどの素晴らしい冒険になるだろう。人生は、日々の問題を解決するだけではない。あなたは目を覚まし未来に興奮する必要がある。
―― イーロン・マスク

It would be an incredible adventure. And life needs to be more than just solving every day problems. You need to wake up and be excited about the future.
―― Elon Musk

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人生をやり直すための名言 まとめ

今回ご紹介した偉人たちは、大きな挫折を経験しながらも、それを乗り越えて偉大な功績を残しました。彼らの物語は、私たちに勇気を与えてくれます。

人生には時に、想像もしなかったことが起こるけれども、よく調べてみれば解決の道は無数に存在します。まずは少し休んで心を落ち着け、あなたが本当にやりたいことは何か、その方向でできることは何かを考えてみてください。

やりかけていたことを想像もしなかった方法で続けられることもあります。新しい道が見つかることもあります。

どういう形であれ人生は続いていくし、あなたはあなたです。あなたが自分らしさを守って進んでいく道を見つけられることを願っています。
 

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