渋沢栄一の名言「論語と算盤というかけ離れたもの」とは?

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「日本の近代資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一は、明治期に500以上の企業の設立・育成に関わった偉大な実業家です。

2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公として、また2024年度に予定されている紙幣改定により、1万円札にその肖像が採用されたことでも一躍有名になりました。

今回は彼の名言「論語と算盤というかけ離れたものを一つにするという事が最も重要なのだ」の意味と、彼の思想のもとになった出来事についてご紹介します。

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渋沢栄一の思想のもとになった出来事

16世紀、ヨーロッパの人々は日本と貿易を始めたとき、日本の職人の優れた技巧や、国の高度な知識や富に驚きました。

しかし日本の名士たちは、ヨーロッパとの貿易にそれほど魅力を感じてはいませんでした。徳川幕府は外国からの影響に慎重な姿勢を見せ、とくにキリスト教の宣教師たちによる介入を避けるため、1639年から1854年まで鎖国政策をとります。

1854年、アメリカ艦隊の武力に対抗できず徳川幕府が日米和親条約を結ぶと、全国の武士層に不満を巻き起こし、尊王攘夷運動へとつながります。

農民から武士に取り立てられていた渋沢栄一も、尊王攘夷運動に加わりました。しかし勤皇派が凋落した京都での志士活動に行き詰まり、一橋慶喜に仕えることになります。そして一橋家の家政の改善などに実力を発揮し、次第に認められていきます。

1867年、主君・徳川慶喜の将軍就任にともない幕臣となり、パリ万国博覧会に、慶喜の実弟・徳川昭武が将軍の名代として出席する際、随員としてフランスに渡りました。

渋沢栄一は万博のあと1年半にわたって、ヨーロッパ各国を訪問する昭武に随行しました。長く続いた鎖国のために知ることの叶わなかったヨーロッパの近代を目の当たりにし、すべてのことに興味を持ちました。

フランス、イタリア、イギリス、ベルギーと旅するうちに、ビジネスマンの地位の高さや、ビジネス界が博愛精神をもって仕事に従事しているさまを見て感銘を受けます。当時の日本では商人のように金銭を扱う仕事は卑しいとされていたためです。

渋沢はヨーロッパ滞在を通じて、産業や経済発展の重要性を痛感します。かつては「世襲により悪が積み重なっている」として幕府を批判していたものの、それを忘れ果てるほど、ヨーロッパでの学びは心躍るものでした。

昭武の通訳兼案内役として同行していたアレクサンダー・フォン・シーボルトから語学や諸外国事情を学び、彼の案内で各地で先進的な産業・諸制度を見聞し、近代社会のありように感銘を受けました。

そして1868年5月、大政奉還に伴い新政府から帰国を命じられ、11月に帰国しました。

帰国後、渋沢栄一はヨーロッパで学んだことを日本で活かそうとしましたが、それは容易ではありませんでした。最初に、自分がいない間に日本で明治維新による大改革が起きていたことに愕然としました。

自分が仕えていた徳川幕府は倒され、渋沢のように幕府に仕えていた人たちは、社会的地位を失うことになりました。しかし渋沢は幕府から解放された自由を喜び、すぐに単独での仕事にとりかかりました。

まず静岡に商法会所を設立。これは日本で最初の株式会社といわれています。フランスで学んだ株式会社制度を実践に移したものです。

若く有望な渋沢栄一を見込んで、官界へ引き入れたのは大隈重信でした。渋沢栄一は民部省・大蔵省で度量衡の制定や国立銀行条例制定などに携わりました。

しかし、1873年、大蔵省を退官し下野します。豊かな国をつくるために、自ら起業し、産業を興すためでした。

明治政府は富国強兵・殖産興業のスローガンの下、政府主導の産業育成を始めていました。

政府の外でも、理想主義的な起業家たちが、独自の考えによりビジネスを立て直すために働きました。

福沢諭吉、第百国立銀行の頭取などを務めた原六郎、大阪電灯の社長などを務めた土居通夫、紡績業・鉱山業・製塩業などの発展に尽力した五代友厚らが、私企業に新しい慣行を導入しました。

渋沢栄一は、この動きの中で最も目覚ましい働きをした人物として知られています。稲盛和夫(京セラ・第二電電の創業者)ら、影響力のある多くの経済人が渋沢栄一の思想を受け継ぎ、その思想は日本企業に広く浸透しています。

渋沢栄一は、かつては大蔵官僚を務めたものの、政府を批判する側に回りました。まず、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)を設立すると、総監役に就任し、投資を呼び込んで民間企業を次々と設立しました。金融、物流、製造、エネルギー、サービスと多方面にわたる500社以上の起業に関わり、実業の側から政府の社会・経済機構の代わりを担いました。

また、福祉や教育事業にも積極的に取り組みました。商法講習所(現:一橋大学)、大倉商業学校(現:東京経済大学)、東京女学館などの設立、理化学研究所設立等の研究事業支援、国際交流、民間外交の実践等にも尽力しました。

経営学者のピーター・ドラッカーも、渋沢栄一の業績を高く評価しています。

「誰よりも早く1870年代から80年代にかけて、企業と国家の目標、企業のニーズと個人の倫理との関係という本質的な問いを提起した」

「20世紀に日本は経済大国として興隆したが、それは渋沢栄一の思想と業績によるところが大きい」(『マネジメント――課題・責任・実践』)

「岩崎弥太郎と渋沢栄一の名は、国外では、わずかの日本研究家が知るだけである。しかしながら彼らの偉業は、ロスチャイルド、モルガン、クルップ、ロックフェラーを凌ぐ」(『断絶の時代』)

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「論語と算盤というかけ離れたもの」とは?

「論語」とは、道徳です。「論語」は孔子が語った道徳観を弟子たちがまとめたものであり、自分のあり方を正しく整え、人と交わる際の日常の教えが書かれています。渋沢栄一はこの論語を、商売の原則にしようと考えました。

当時、商売に学問はいらない、むしろ害があるとさえ思われていましたが、渋沢栄一は、学問によって利殖を図っていかなくてはならないと確信していたからです。

「算盤(そろばん)」とは、今の経済社会の仕組みである資本主義社会の中で働き、利益を得ることです。

渋沢栄一は、道徳と経済の両立を説きました。一見、相容れないように思われがちですが、論語の解釈を更新するよう促したものです。

渋沢によれば、論語は朱子学として伝承されるうちに解釈を歪められ、「仁義、王道」と「貨幣、富貴」の両者は相容れないとする思想だとされてきたといいます。しかし実際は、孔子は利益を得ることを卑しいとはしていません。

「論語」には「道理に反して金や地位を得るくらいなら、貧しくて卑しいほうがましだ。もし正しい道理に則って得た金や地位なら、それは特に問題はない」とあります。

そして渋沢は上記のように、国の発展のために産業や経済の発展が重要であることをヨーロッパで痛感しました。

論語と算盤というかけ離れたものを一つにするという事が最も重要なのだ。
―― 渋沢栄一

この名言の意味は、国民一人一人が道徳心を持ち、なおかつ利益を得ていくよう、道徳と経済のバランスをとることが、国全体を豊かにしてゆくことにつながるということです。

「国家の進歩発達を助ける富」は「真正の富」であり、決して薄利で商売をすべきということではありません。事業を発展させようという意欲がなくては衰退を招きます。

また、自分さえよければいいという利己的な考えが勝れば、利潤を追求するあまり不正を行うようなことにもなりかねません。

「論語と算盤とは一致すべきもの」というのが渋沢の持論でした。

現在も企業理念に「社会やお客様と共に」といった文言を入れている企業は数多くあります。そしてその多くが、渋沢栄一からの影響といいます。

渋沢栄一は、事業の第一線を退いた明治30年代から、自らの経営思想を語り始めました。

1916年(大正5年)には、渋沢栄一の講演をまとめた本、『論語と算盤』が出版され、当時のベストセラーになりました。

論語の精神で、人が本来持っているやる気や成長を促し、経済を持続的に活性化させようという内容の、大正版処世術です。

この本が書かれた大正の初めは、社会全体がバブル期に突入し、とりわけ若い世代では立身出世、金儲けの風潮が蔓延していました。

激動の明治が過ぎ、先進国の仲間入りを果たしたという安堵感もあり、目標を喪失して現状に甘んじるようになっていました。

志ある名士たちは、こうした風潮をいさめようと声をあげ、『論語と算盤』もその一つでした。

企業モラルが問われる今、経営と社会貢献の均衡を問い直す不滅のバイブルというべき名著です。

儒教と実業というテーマを主軸に、幅広い話題を取り上げています。人格をどのように磨けばいいのか、合理的な経営とは何か、などを誠実かつユーモアあふれる語り口で語っています。

「長所を発揮するように努力すれば、短所は自然に消滅する。」

「社会のために尽くす者には、天もまた恵みを与えてくれる。」

「どんな手段を使っても豊かになって地位を得られれば、それが成功だと信じている者すらいるが、わたしはこのような考え方を決して認めることができない。素晴らしい人格をもとに正義を行い、正しい人生の道を歩み、その結果手にした地位でなければ、完全な成功とは言えないのだ。」

「いっときの成功や失敗は、長い人生や、価値の多い生涯における、泡のようなものだ。」

などの名言も、この本から数多く生まれています。

現在は、原文版(現代の漢字と仮名遣いに改めたもの)と、現代語訳版が出版されています。
 
原文版は「論語と算盤という懸け離れたものを一致せしめることが、今日の緊要の務め」のような文体です。


 
現代語訳版は「論語と算盤というかけ離れたものを一つにするという事が最も重要なのだ」のような文体です。

 

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