アインシュタイン名言解説 世界を滅ぼす者 神はサイコロを振らないなど

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天才物理学者アルベルト・アインシュタインの名言「悪い行いをする者が世界を滅ぼすのではない」「神はサイコロを振らない」のほか、天才、日本、世界大戦、原爆、シンプル、ノートなどについての名言を日本語と英語でご紹介します。

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悪い行いをする者が世界を滅ぼすのではない

悪い行いをする者が世界を滅ぼすのではない。 それを目にしながら何もしない者たちが滅ぼすのだ。
―― アルベルト・アインシュタイン

The world will not be destroyed by those who do evil, out by those who watch them without doing anything.
―― Albert Einstein

これはアインシュタインが1953年に本の編集者にあてて書いた手紙が基になった名言です。原文はドイツ語です。

<ドイツ語原文>
Die Wertschätzung Pablo Casals als grossen Künstler braucht fürwahr nicht auf mich zu warten, denn hierin herrscht Einstimmigkeit unter den Auguren. Was ich aber an ihm besonders bewundere ist seine charaktervolle Haltung nicht nur gegen die Unterdrücker seines Volkes, sondern auch gegen alle diejenigen Opportunisten, die immer bereit sind, mit dem Teufel zu paktieren. Er hat klar erkannt, dass die Welt mehr bedroht ist durch die, welche das Uebel dulden oder ihm Vorschub leisten, als durch die Uebeltäter selbst.

<英語訳>
It is certainly unnecessary to await my voice in acclaiming Pablo Casals as a very great artist, since all who are qualified to speak are unanimous on this subject. What I particularly admire in him is the firm stand he has taken, not only against the oppressors of his countrymen, but also against those opportunists who are always ready to compromise with the Devil. He perceives very clearly that the world is in greater peril from those who tolerate or encourage evil than from those who actually commit it.

<日本語訳>
パブロ・カザルスが偉大な芸術家であるということは世間で一致している評価であり、私が言うまでもありません。しかし、私が彼に特に賞賛を送りたいのは、同胞を抑圧する者に対してだけでなく、いつでも悪魔と取引する準備ができている日和見主義者たちに対しても、彼がとった確固たる態度に対してです。彼は、悪を行う者自身よりも、悪を容認したり助長したりする者によって、世界は脅かされていることを、はっきりと理解しているのです。

パブロ・カザルス(Pablo Casals)は、スペインのカタルーニャ地方生まれのチェロ奏者、指揮者、作曲家です。深い精神性を感じさせる演奏において20世紀最大のチェリストとされています。

カザルスはスペイン内戦が勃発するとフランスに亡命し、終生フランコ独裁政権への抗議と反ファシズムの立場を貫きました。1950年代後半からはアルベルト・シュヴァイツァーとともに核実験禁止の運動に参加し、平和活動家としても有名です。

アインシュタインは、カザルスの態度を称賛するという形をとって、悪に対してはっきりとノーと言わないことの危険性を指摘しています。

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神はサイコロを振らない

神は絶対にサイコロを振らない。
―― アルベルト・アインシュタイン

God does not play dice with the universe.
―― Albert Einstein

この名言は、量子力学についての物理学者たちの議論から生まれました。

原子の内部構造について考えるとき、原子核やその周りに存在する電子の振る舞いは、古典物理学では説明することができませんでした。そこで新しい理論が次々に考え出されますが、エルヴィン・シュレーディンガーの波動方程式が登場してから、その解釈を巡って議論が始まります。

シュレーディンガーは、物質波を計算する波動方程式を見つけ出しましたが、波の運動を伝える媒質が何であるかが分かっていませんでした。

そこで、「シュレーディンガーの計算していた波とは、物理的に実在するものではなく、そこに電子があるかもしれないという存在確率の分布だ」と、マックス・ボルンは主張しました。

しかしこれでは、波動は確率でしか言及できず、どのような状態になるか事前には分からないことになってしまいます。

シュレーディンガーは納得できませんでした。アインシシュタインもです。

物理学の世界は基本的に因果律に支配された決定論で記述されています。この原因があるからこの結果が出てくるというものです。

この因果律と決定論を放棄する確率解釈は、アインシュタインにとってもありえないものでした。

だからアインシシュタインは言ったのです。「神はサイコロを振らない」と。

「神」は比喩です。

アインシュタインはもちろん自然の法則を信じていましたから、「自然の法則を作り、宇宙を法則に従って進化するようにした存在」として神を捉えていたようです。

「科学が明らかにしている、この世界の構造に崇敬の念を抱いている」と、自ら語っています。

「神はサイコロを振らない」とは、この自然の法則が「確率を示すだけで、あらかじめ1なら1になると言えない」とする確率解釈は到底認められないということです。

天才とは

天才とは努力する凡才のことである。
―― アルベルト・アインシュタイン

Genius is the man of average ability who makes an effort.

―― Albert Einstein

アインシシュタインは努力すること、考えることが自分の仕事だととらえていたようです。他にもこんな名言があります。

私はそれほど賢くはありません。ただ、人より長く一つのことと付き合ってきただけなのです。
―― アルベルト・アインシュタイン

It’s not that I’m so smart, it’s just that I stay with problems longer.

―― Albert Einstein

アインシュタインが特殊相対性理論を発表したのはは1905年でした。理論を拡張し、論文『ハミルトンの原理と一般相対性理論』を出したのは1916年。11年間考え続けました。

優れたアイデアを記録したノート

優れたアイデアを記録したノートを持っているか?と問われれば、「生涯で持ったノートは1冊しかない」と、答えるしかない。
―― アルベルト・アインシュタイン

You ask me if I keep a notebook to record my great ideas. I’ve only ever had one.
―― Albert Einstein

アインシシュタインにとっては、「優れたアイデア」の基準が恐ろしく高いのでしょうか。主要な論文の要点のメモなど?

シンプルに説明できないのなら

シンプルに説明できないのなら、それは十分に理解していないということだ。
―― アルベルト・アインシュタイン

If you can’t explain it simply, you don’t understand it well enough.
―― Albert Einstein

物事を自分が理解しただけでは、人に説明するのは難しいとよく言われます。深く理解した上で、重要な点だけをシンプルに、相手に理解されやすい形で説明するように心がけたいですね。アインシュタインはこうも言っています。

6歳の子供に説明できなければ、理解したとは言えない。
―― アルベルト・アインシュタイン

If you can’t explain it to a six year old, you don’t understand it yourself.

―― Albert Einstein

日本について

1919年、皆既日食の時に太陽の近傍に見える恒星の位置がずれて見えることが観測され、アインシュタインの提唱した重力レンズの効果が確認されました。

そして1922年の皆既日食では複数の科学者が観測を行い、一般相対性理論が正しいことが実証されます。これらによって世界的な脚光を浴びたアインシシュタインは、世界中に招かれて船で講演をして回りました。その間ずっと日記をつけていたそうです。

1922年晩秋、日本に向かう船上で、アインシシュタインはノーベル物理学賞の受賞を知りました。そして日本には11月17日から12月29日までの43日間滞在し、全国10カ所で講演を行いました。

有名人となっていたアインシュタインは、どこへ行っても大歓迎を受けました(上の写真は、歓待を受けるアインシシュタインとエルザ夫人)。

最初の講演は東京で行われました。東京駅に着くと、「アインシュタイン!」「アインシュタイン!」「万歳!」と怒濤のごとく群衆が博士に殺到し、大騒ぎとなりました。

講演は慶應義塾三田山上の大講堂で行われ、文部大臣の鎌田栄吉、長岡半太郎らの物理学者たち、学生、市民ら2千数百名の聴衆がホールを埋め尽くしました。

講演は特殊相対性理論と一般相対性理論についてで、休憩をはさんで5時間にも及びました。通訳は理論物理学者の石原純博士が務めました。

当時の読売新聞によると、聴衆はアインシシュタインの「金鈴を振るやうな音楽的な」声に酔わされ、一人として席を立たず、最後まで静粛かつ真剣に聞き入っていたといいます。

そして京都での講演後、京都御所を訪問したアインシュタインは日記にこう記しています。

御所は私がかつて見たなかでもっとも美しい建築物のひとつだ。

The inner palace courtyard is among the most exquisite architecture I have ever seen.

日本人が外国の学者に対して抱く尊敬の念には胸を打たれるとしています。

嫌味もなく、また疑い深くもなく、人を真剣に高く評価する態度が日本人の特色である。彼ら以外にこれほど純粋な人間の心をもつ人はどこにもいない。この国を愛し、尊敬すべきである。

Earnest respect without a trace of cynicism or even skepticism is characteristic of Japanese. Pure souls as nowhere else among people. One has to love and admire this country.

日本滞在中、アインシュタインは日本の風土と人々を深く愛し、日本人も彼の偉業を尊敬するとともに、飾らないその人柄を愛したといいます。

世界大戦と原爆

第一次世界大戦中(1914~1918年)、アインシュタインは平和主義を掲げ、戦争を公然と批判しました。

1933年、ドイツでヒトラーが政権を握ると、ユダヤ人であったアインシュタインは迫害を逃れてアメリカへ亡命。

1939年、ナチス・ドイツが原爆研究を開始しているという情報がもたらされ、ドイツが先に原爆を手にすれば世界がファシズムに制されるとの危機感が高まりました。

同年、亡命ユダヤ人物理学者レオ・シラードらが、同じ亡命ユダヤ人のアインシュタインの署名を借りてフランクリン・D・ルーズベルト大統領に信書を送ったことがきっかけとなり、アメリカで核開発が始まりました。

信書の内容は核連鎖反応が軍事目的のために使用される可能性と、核によって被害を受ける可能性を示唆するものでした。

1942年、政府はマンハッタン計画により、本当の目的を隠して科学者たちを集め、本格的な核開発を進めました。アインシュタインは政治姿勢を警戒され、実際に計画がスタートした事実さえ知らされていませんでした。

1945年、核実験に成功した翌月、原爆が日本に投下されたというニュースを聞いたとき、アインシシュタインは Oh, weh! (ああ、なんたることだ!)と嘆き、絶句したといいます。

そして、ルーズベルト大統領への手紙に署名をしたことを、生涯悔やんだそうです。核開発に使われた特殊相対性理論さえも。

もし私があのヒロシマとナガサキのことを予見していたなら、1905年の公式を破棄していただろう。

If I had foreseen Hiroshima and Nagasaki, I would have torn up my formula in 1905.

インタビュアー
「第二次世界大戦では原子爆弾が兵器として利用されましたが、第三次世界大戦が起こったら、どのような兵器が使われると思いますか?」

アインシュタイン
「第三次世界大戦についてはわかりませんが、第四次大戦では石と棍棒が使われるでしょう。」
“I know not with what weapons World War III will be fought, but World War IV will be fought with sticks and stones.”

1905年、現代物理学の発展のために発表された特殊相対性理論が、1942年のマンハッタン計画によって原爆の開発・製造に利用され、それが投下されるとは、誰にも予測のつかない事でした。

第三次世界大戦には、さらに破壊力の大きな兵器が使用され、科学文明は滅び去るだろう。だから第四次世界大戦では石と棍棒が使われるだろう、と警鐘を鳴らしたのです。

晩年のアインシュタインは、プリンストン高等研究所で研究に取り組む一方、世界連邦の樹立を提唱するなど平和運動にも熱心に取り組んでいます。

1955年には、イギリスの哲学者バートランド・ラッセルとともに、核兵器廃絶と戦争廃止を訴える「ラッセル=アインシシュタイン宣言」に署名しました。

 

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