聖書の有名な言葉を解説 「砂上の楼閣」など(英語訳つき)

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「砂上の楼閣」「まいた種は刈らねばならない」などの聖書の有名な言葉をご紹介します。

前後の部分も聖書から引用していきます。わかりやすい新共同訳の「現代語訳」、格調高い大正改訳(1950年版2009年校正)の「文語訳」、新国際版聖書(NIV)の「英語訳」とを併記しますので、読み比べをしてみると、補い合って分かりやすくなるのではと思います。

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聖書の有名な言葉と解説

Popular Bible Verses

「砂上の楼閣(さじょうのろうかく)」

新共同訳
そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。
わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。

文語訳
さらば凡て我がこれらの言をききて行ふ者を、磐の上に家をたてたる慧き人に擬へん。雨ふり流みなぎり、風ふきてその家をうてど倒れず、これ磐の上に建てられたる故なり。
すべて我がこれらの言をききて行はぬ者を、沙の上に家を建てたる愚なる人に擬へん。雨ふり流みなぎり、風ふきて其の家をうてば、倒れてその顛倒はなはだし。

Therefore everyone who hears these words of mine and puts them into practice is like a wise man who built his house on the rock. The rain came down, the streams rose, and the winds blew and beat against that house; yet it did not fall, because it had its foundation on the rock.
But everyone who hears these words of mine and does not put them into practice is like a foolish man who built his house on sand. The rain came down, the streams rose, and the winds blew and beat against that house, and it fell with a great crash.
―― マタイによる福音書 7章24-27節

「イエスの言葉通り岩の上に家を建てれば、雨や洪水や風に襲われても家は倒れない」。

このたとえは、イエスの言葉を聞いてそれを実行する人は、イエスより力を受けるので、サタン(悪魔)や迫害する者や偽教師(偽の預言者)に襲われても滅ぼされることなく、行いを全うできる、ということです。

「イエスの言葉を聞き入れず、砂の上に家を建てれば、雨や洪水や風に襲われたときに家は倒れてしまう」。

これは、イエスの言葉を聞いてもそれを実行しない人は、同じようにキリスト教徒として説教を聞いていても、試練、迫害、偽教師に襲われれば、すぐに破滅してしまう、ということです。

イエスの言葉を聞くだけでは足りない。実行してはじめて意味を持つということを言われています。

このたとえからとられた「砂上(さじょう)の楼閣(ろうかく)」という言葉は、 「砂の上に建てた高い建物」という意味で、外見は立派だけれども、基礎がしっかりしていないために長く維持できない物事のたとえとして使われています。

「まいた種は刈らねばならない」

新共同訳
まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。

文語訳
自ら欺くな、神は侮るべき者にあらず、人の播く所は、その刈る所とならん。

Do not be deceived: God cannot be mocked. A man reaps what he sows.
―― ガラテヤの信徒への手紙 6章7節

自分がまいたものは、いつか刈り取らなければならない。自分がまいたのでないものを刈り取ることはできない。これは当然のことです。この事実は変えられるものではありません。

愛の種を蒔けば愛を刈り取り、憎しみの種を蒔けば憎しみを刈り取らなければなりません。

それなのに、この事実を無視して生活するのは、神様を侮ることになるのです。

最初の Do not be deceived. は、自分を欺いてはいけないということです。たとえば自分が善を行ってはいないのに、善を行っているかのように考えている人は、自分で自分を欺いているのだと、それをやめるようにと、いましめています。

「はじめに言葉ありき」

新共同訳
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

文語訳
太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.
―― ヨハネによる福音書 1章1節

(宇宙の)はじめに言葉があった。その言葉は神様と共存していた。その言葉には神性があった。

これは「ヨハネによる福音書」の最初の節です。「創世記」の最初に、神様が天地を創造される場面があります。神様が「光あれ」と言われると光が生まれ、そのあと空、陸、海……と造られていきます。神様の言葉に従ってすべてが創造される様子が描かれています。宇宙より先に言葉がありました。

ヨハネは「創世記」の記述に対応して「ヨハネによる福音書」の最初に「はじめに言葉があった」と記し、そのあと洗礼者ヨハネが救世主イエス・キリストの出現を預言し、イエスが現れて……と続けています。

神様の言葉が天地を創造したのと同じく、預言の通りに神の子イエスが現れ、新しい天地を創造する物語が始まります。

「笛吹けど踊らず」

「笛吹けど踊らず」は、人々に何かをさせようとして、手を尽くしたにもかかわらず、まるで反応がないことのたとえです。特に指導者が示した方針に大衆が賛同せず、行動しないことを言います。

新共同訳
今の時代を何に比べようか。それは子供たちが広場にすわって、ほかの子供たちに呼びかけ、『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌を歌ったのに、胸を打ってくれなかった』と言うのに似ている。

文語訳
われ今の代を何に比へん、童子、市場に坐し、友を呼びて、「われら汝等のために笛吹きたれど、汝ら踊らず、歎きたれど、汝ら胸うたざりき」と言ふに似たり。

To what can I compare this generation? They are like children sitting in the marketplaces and calling out to others:`We played the flute for you, and you did not dance; we sang a dirge, and you did not mourn.’
―― マタイによる福音書 11章16-17節

イエスの布教活動が、一般の人々からは冷たくあしらわれている様子をたとえた部分です。「子どもたちが他の子どもたちのために喜びの笛を吹いたり弔いの歌を歌ったりしているのに、共に踊ったり、共に嘆いたりせず、ただ冷たい言葉を浴びせているようなものだ」。

この時代は、洗礼者ヨハネによって預言されていた通り、救世主イエス・キリストが現れた、最もしあわせな時代であるはず。でも、一般の人々はイエスと弟子たちを悪く言うばかりで、聞く耳を持ちませんでした。

「働かざる者食うべからず」

新共同訳
実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。

文語訳
また汝らと偕に在りしとき、人もし働くことを欲せずば食すべからずと命じたりき。

For even when we were with you, we gave you this rule: “If a man will not work, he shall not eat.”
―― テサロニケの信徒への手紙二 3章10節

「働かざる者食うべからず」として使われることもあり、「働かない人は食べるべきでない」と誤解されることの多い言葉です。聖書では「働いていない者」ではなく「働きたくない者」と言っています。

当然、心身の病気・怪我・障がいなどで働けない人は含みません。敵をも愛するようにと言うキリスト教ですから、「働きたいのに働けない人」にはむしろ愛をもって接してくれるはずですよね。各自、いま自分にできることをすればいいと思います。休養も仕事ですし。

この言葉は、「働ける状態なのに、働く場所があるのに、怠けて働こうとしない人」をいましめる言葉です。ユダヤ人またはギリシャ人の格言であったと思われます。パウロは模範となるべく、自ら働きながら布教活動をしており、テサロニケの信徒にこの格言を教えたのでした。

 

 

 

 

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