愛と癒しをくれる聖書の短い名言と解説(英語訳つき)

bible-verses-about-love-6宗教家の名言

聖書から有名な短い名言を選び、現代語訳に文語訳と英語訳をつけてご紹介します。今回は「求めよ、さらば与えられん」、「明日のことを思いわずらうな」など、愛と癒しをくれる名言です。

より分かりやすくするために、短い名言の前後の部分を引用して話の流れに沿って解説。聖書の言葉から愛と癒しを受け取りたい方や、欧米文化を理解し身近に感じたい方に。

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名言の出典の訳について

言葉は聞いたことがあるけれど何となく理解しづらい聖書。文語訳が用いられることもあり、とっつきにくい印象があります。翻訳も10種類以上存在していて、少しずつ表現の違う訳を見かけます。

20世紀後半に世界各国で、それまで別の聖書を用いていたカトリック教会とプロテスタント諸派が、共同して原典(ヘブライ語)から聖書を翻訳しました。

日本でも1978年に「共同訳」が作られ、1987年に改訳された「新共同訳」、2017年に「聖書協会共同訳」が出版されました。カトリックとプロテスタントでは聖書の解釈が違うので、ここでは長く親しまれてきた「新共同訳」を採り上げます。

現代英語訳聖書で最も人気のあるのは、新国際版聖書、略称 NIV (New International Version)です。編集にはアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、南アフリカなどの学者も携わっています。

今回は、わかりやすい新共同訳の「現代語訳」、格調高い大正改訳(1950年版2009年校正)の「文語訳」、NIVの「英語訳」とを並べてご紹介します。読み比べをしてみると、補い合って分かりやすくなるのではと思います。

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愛と癒しをくれる聖書の短い名言と解説

Bible Verses About Love
以下に採り上げる名言は、すべて新約聖書からの引用です。

「求めよ、さらば与えられん」

よく聞く言葉ですが、なぜ、何を求めよということなのでしょうか。

新共同訳
求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
文語訳
求めよ、さらば與へられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。

Ask and it will be given to you; seek and you will find; knock and the door will be opened to you.
―― マタイによる福音書 7章7節

自分が望むものを、下さいと求める。どこにあるのか分からなくても探す。あげないと言われ門を閉ざされても、開けてくださいと叩く。

そんなふうに、手に入るまで求め続ける姿勢が必要だと言っています。

神様は人間の望むものを与えてくださるけれど、「求めもしないものを無理やり押しつけるわけにはいかない、だから欲しいものを求めなさい。求める者だけに与えよう」ということです。

では、何を求めたらいいのでしょうか。これについては、この記事の最後のほうのマタイによる福音書 6章33節、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」の項で、改めて説明します。

「心を込めて愛し合いなさい」

新共同訳
何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。
文語訳
何事よりも先づ互に熱く相愛せよ。愛は多くの罪を掩へばなり。

Above all, love each other deeply, because love covers over a multitude of sins.
―― ペテロの第一の手紙 4章8節

キリスト教徒にとって、神様に対しての第一の務めは祈りであり、人に対しての第一の務めは互いに愛し合うことです。

心を込めて相手を愛すると、深い愛が相手の罪を覆い隠してしまいます。そして相手を許し、いたわり、相手の罪に目を留めなくなります。さらに他人からもその罪を覆い隠し、罪が許されることを神様に祈るのみとなります。

このような愛は必ずよい結果をもたらすことになり、憎しみはますます罪を重ねさせることになる、といいます。

「心の貧しい人々は幸いである」

逆説的なこの言葉ですが、イエス・キリストは、何を幸せと考えるかによって人は幸せにも不幸にもなれるということを説いています。
他にも、何を求めて生きるかを考え直すことによって、幸せに気づける例が続きます。

新共同訳
心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
文語訳
幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり。

Blessed are the poor in spirit, for theirs is the kingdom of heaven.
―― マタイによる福音書 5章3節

本当に幸福な人とは、自分には道徳も、知識も、知恵もあるとの自信を持っている人ではなく、逆に自分には誇れるものが何もなく、ただ必要な心の糧を神様より与えられている人だと言っています。

このような人たちに与えられるものは、この世での地位や名誉ではなく、このような人のみで占められる天国。しかも天国とは「神の支配するところ」ですから、神様の意志に従っている人は、この世でもすでに、天国の一部を握っているということです。
 

新共同訳
悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
文語訳
幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。

Blessed are those who mourn, for they will be comforted.
―― マタイによる福音書 5章4節

この世には生老病死の苦しみがあり、悲しみがあります。さらに自分の罪の悲しみがあります。これらを悲しむ人々は、本当に神様を求める人であり、やがては神様より慰めを得られる、本当に幸福な人だといいます。

逆にこれらの悲しみを忘れようとして、一時の快楽を追い求める人たちは、永遠に神様の慰めを得られないということです。
 

新共同訳
柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
文語訳
幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん。

Blessed are the meek, for they will inherit the earth.
―― マタイによる福音書 5章5節

この世で成功しようとすると、なかなか柔和ではいられません。ライバルを押しのける勇気と大胆さとを持っていなければなりません。これができる人が幸せな人と見なされています。

でも本当に幸福なのは柔和な人々であり、他人から押しのけられ、圧迫され、侮られて悲しんでいる人だと言っています。このような人をこそ神様は救い、やがて「地を受け継」がせるといいます。

「地を受け継ぐ」とは、神様がその民に嗣業としてこの全地を与えるという約束の実現を意味しています。
 

新共同訳
憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
文語訳
幸福なるかな、憐憫ある者。その人は憐憫を得ん。

Blessed are the merciful, for they will be shown mercy.
―― マタイによる福音書 5章7節

不幸に見舞われた人を見てかわいそうに思い、さらに、自分を傷つけようとする人までもかわいそうに思う人は幸福だと言います。

この世においては苦しみが絶えないかもしれません。でもこのような人の上に、神様の憐みは最も多く下るので、その苦しみも償われて余りあるということです。

「明日のことを思いわずらうな」

明日のことは、いま考えても仕方がないと頭では分かっていても、つい考えてしまうもの。
思い悩む必要のない理由について、イエス・キリストはこう教えています。

新共同訳
空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
文語訳
空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に收めず、然るに汝らの天の父は、これを養ひたまふ。汝らは之よりも遙に優るる者ならずや。

Look at the birds of the air; they do not sow or reap or store away in barns, and yet your heavenly Father feeds them. Are you not much more valuable than they?
―― マタイによる福音書 6章26節

まず命のことを考えてみると、空の鳥さえも、神様は命を保てるようにされている。神様のかたちに似せて造られた人間のことはなおさら、命を保てるように心を配られている。
 

新共同訳
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
文語訳
今日ありて明日爐に投げ入れらるる野の草をも、神はかく裝ひ給へば、まして汝らをや、ああ信仰うすき者よ。

If that is how God clothes the grass of the field, which is here today and tomorrow is thrown into the fire, will he not much more clothe you, O you of little faith?
―― マタイによる福音書 6章30節

野の草でさえ、神様はこのように美しく装ってくださる。人間のことはなおさら、着るものを得られるように心を配られている。
 

新共同訳
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
文語訳
まづ神の國と神の義とを求めよ、さらば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし。

But seek first his kingdom and his righteousness, and all these things will be given to you as well.
―― マタイによる福音書 6章33節

最初にご紹介した、「求めよ、さらば与えられん」で、何を求めたらいいのかの答えがここにあります。

まず第一に求めるべきものは、神の国(悪事を避け、神の支配する国を実現すること)と神の義(自分にとって正しいことではなく、神から見て正しいことを実現すること)。つまり、全力で悪と戦うこと。そういう人を神様は飢えや寒さのうちに命を落とすことのないようにしてくださる、と言っています。

本来、こういうことに全精力を向けていれば衣食の心配はないのに、その反対に何を着よう、何を食べようと思い煩っているから、得られないのだということです。
 

新共同訳
だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。
文語訳
この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦勞は一日にて足れり。

Therefore do not worry about tomorrow, for tomorrow will worry about itself. Each day has enough trouble of its own.
―― マタイによる福音書 6章34節

だから毎日、その日に神様から与えらえるものを受けていれば心配はない。明日のことは明日に思い悩ませておいて(「明日」を擬人化した言い方)、自分は明日のことなど心配しないで生きる。

今日の苦労は今日取り組み、明日になったら明日の苦労に取り組む。この上、翌日の事まで思い煩わない。

今日の苦労は今日取り組むのに十分すぎるくらいあるのだから、明日の分までしないで生きればいい、ということです。

 

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