人の死を乗り越えるための名言~ブッダ(日本語・英語)

Buddha Quotes on Death-2 宗教家の名言

愛する人、親しかった人、心の支えだった人が亡くなった時、悲しくて心にぽっかり穴が開き自分ではどうしようもない時に、ただ心が癒えるのをじっと待っていると、癒えるのに長い時間がかかります。

そんな時にはブッダ(お釈迦さま)の言葉が、悲しみの底から救ってくれます。

ブッダは長い伝道の旅を経て八十歳を迎え、病を得て自分の死期が近いことを悟ると、沙羅の林に弟子たちを集めて最後の教えを説かれました。自分の死を乗り越え、これからどのように生きていったらいいのかを教えられたのです。その中から、ブッダの名言とその英語訳をご紹介します。

亡くなった人との思い出や故人の想いがあなたの中に生き続けている限り、故人も生き続けるのです。

(※ いま本当につらい人は、音楽を聴く・お風呂に入るなど、好きなことやリラックスできることをして、なるべくたくさん眠ってください。眠れなくても、横になるだけでも少し心が楽になります。)

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人の死を乗り越えるためのブッダの名言

Buddha Quotes on Death

弟子たちよ、わたしの終わりはすでに近い。別離も遠いことではない。しかし、いたずらに悲しんではならない。世は*無常 (むじょう) であり、生まれて死なない者はない。今わたしの身が朽 (く) ちた車のようにこわれるのも、この無常の道理を身をもって示すのである。
―― ブッダ(釈迦、紀元前5世紀前後の北インドの人物、仏教の開祖)

My disciples, my end is approaching, our parting is near, but do not lament. Life is ever changing; none can escape the dissolution of the body. This I am now to show by my own death, my body falling apart like a dilapidated cart.
―― Gautama Buddha

*無常
あらゆる存在が生滅変化してうつり変わり、同じ状態には止 (とど) まっていないこと。

いたずらに悲しむことをやめて、この無常の道理に気がつき、人の世の真実のすがたに眼を覚まさなければならない。変わるものを変わらせまいとするのは無理な願いである。

Do not vainly lament, but realize that nothing is permanent and learn from it the emptiness of human life. Do not cherish the unworthy desire that the changeable might become unchanging.

弟子たちよ、今はわたしの最期の時である。しかし、この死は肉体の死であることを忘れてはならない。肉体は父母より生まれ、食によって保たれるものであるから、病み、傷つき、こわれることはやむを得ない。

My disciples, my last moment has come, but do not forget that death is only the end of the physical body. The body was born from parents and was nourished by food; just as inevitable are sickness and death.

仏の本質は肉体ではない。さとりである。肉体はここに滅びても、さとりは永遠に*法と道とに生きている。だから、わたしの肉体を見る者がわたしを見るのではなく、わたしの教えを知る者こそわたしを見る。

But the true Buddha is not a human body: — it is Enlightenment. A human body must die, but the Wisdom of Enlightenment will exist forever in the truth of the Dharma, and in the practice of the Dharma. He who sees merely my body does not truly see me. Only he who accepts my teaching truly sees me.

*法
悟れる者である「仏陀」によって説かれた「真実の教え」ということで、その具体的な内容は、三蔵とよばれる、経(仏の説かれた教え)・律(仏の定めた日常規則)・論(経と律とに対する解釈や注釈)の三種の聖典。

わたしの亡き後は、わたしの説き遺 (のこ) した法がおまえたちの師である。この法を保ち続けてわたしに仕えるようにするがよい。

After my death, the Dharma shall be your teacher. Follow the Dharma and you will be true to me.

弟子たちよ、わたしはこの人生の後半四十五年間において、説くべきものはすべて説き終わり、なすべきことはすべてなし終わった。わたしにはもはや秘密はない。内もなく、外もなく、すべてみな完全に説きあかし終わった。

During the last forty-five years of my life, I have withheld nothing from my teachings. There is no secret teaching, no hidden meaning; ever ything has been taught openly and clearly.

弟子たちよ、今やわたしの最期である。わたしは今より*涅槃 (ねはん) に入るであろう。これがわたしの最後の*教誡 (きょうかい) である。

My dear disciples, this is the end. In a moment, I shall be passing into Nirvana. This is my instruction.

*涅槃 (ねはん)
梵語 (ぼんご) の「吹き消す」という意味の、ニルヴァーナという単語の漢音写で、「滅 (めつ)」・「滅度 (めつど)」・「寂滅 (じゃくめつ)」などと訳される。丁度ローソクの火を吹き消すように、欲望の火を吹き消したものが到達する境地で、これに到達することを「入涅槃 (にゅうねはん)」といい、達したものを「仏陀」とよぶ。

*教誡 (きょうかい)
教えいましめること。

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